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浦和地方裁判所 昭和39年(行ウ)5号 判決 1972年9月30日

埼玉県秩父市熊本町産業会館内

原告

秩父勤労者音楽協議会

右代表者委員長

田代健太郎

右訴訟代理人弁護士

佐藤義弥

斎藤義雄

埼玉県秩父市野坂

被告

秩父税務署長

保坂勉

右指定代理人

石原明

森茂

等々力有

朝倉巌

半田二百

高橋衛往

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする

第一当事者の求めた裁判

一、原告

1 被告が原告に対してなした別表一記載の各課税処分はいずれもこれを取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

主文同旨

第二当事者双方の主張

一、原告の主張

1 原告の性格ならびに組織および運営の実情

原告は、音楽を愛好する勤労者を中心とした一般市民、学生等によつて、原則として会員三名以上のサークルを単位として構成された自主的組織であり、働く者の豊かな文化的向上を図るため、会員相互の自主的活動を通じ、いわゆる興業主の手を排して会員自らの手で健康で文化的な音楽や舞踊等を企画立案し、安い費用でこれらを観賞するとともに、地域、職場等における音楽活動に積極的に協力し、もつて日本文化の創造的発展に寄与することを目的として、昭和三四年一一月に創立された団体で、規約によつて代表者選出の方法、最高決定機関である総会の組織および運営の方法その他主要な点を定め社会的現象または実在としては団体として活動しているが、法律的には個人でも法人でもなく人格を有しないものである。したがつて、原告は民事訴訟法第四六条に規定する「法人に非ざる社団にして代表者の定めあるもの」すなわちいわゆる人格なき社団に該当する。原告は、昭和三六年原告と同様の目的、実態、性格を有する全国各地の勤労者音楽協議会(以下、単に労音という)とともに原告の基本任務を「労音運動は日本民族の進歩的音楽運動の伝統を受けつぎ、発展させ、海外諸民族の民主的遺産に学び、芸術家知織人ならびに進歩的諸勢力と協力して自分自身の成長と社会の進歩に役立つ音楽文化を創造することを目的としている。また、そのことによつて勤労者の人間性を高め、その連帯性を強化する運動である。同時に労音運動は勤労者の立場に立つ民主的音楽運動である。その組織原則はサークルの活動を基本とした民主的運営である。」と確認決定した。また、原告および全国各地の労音には「一、私達は、よい音楽をより安く、より多くの人達と楽しみ、私達の生活にひろく音楽的文化をもたらせます。一、私達は、全国各地の労音、文化人、音楽関係者と手をつなぎ、国民音楽を創造します。一、私達は、音楽の自主性を堅持し、常に会員の希望、意見を尊重した企画運営を行います。」旨の共通の網領がある。原告は右の基本任務と網領に基づいて定期的な音楽会の開催(いわゆる例会活動)、レコード・コンサート、フオークダンス、レクリエーション、音楽講座、例会の合評会、座談会、文化人および他の民主的文化団体との提掲、音楽関係の資料の蒐集、機関紙、ニユースの発行等多種多様の活動を行なつている。

2 被告の課税処分

ところが、被告は、原告が別表二記載の日時、場所で同表記載の内容で開催した各例会に対し、別表一記載のとおり入場税および無申告加算税の賦課処分(以下、本件課税処分という。)をなした。

3 本件課税処分の取消事由

同課税処分は次の理由によりいずれも違法な処分であるから取消されるべきである。

(一) 本件課税処分の対象となつた各例会は入場税法上の「催物」に該当しないし、その例会につき原告の会員が醸出し、原告が受領した会費は同法上の「入場料金」ではない。

前記した原告の諸活動の基礎はサークルの活動である。サークルは主として職場単位で構成され、原告の会員になることはサークルに加入するか、あるいは新たにサークルを作つてサークルとして原告に加入することであり、原告の会員たることをやめるということはサークルを脱会することである。サークル員は、座談会、例会の合評会、その他のサークルの諸活動において原告のすべての活動について基本任務や網領に即して討議し意見を集約する。その集約された意見が原告の機関である委員会や運営委員会に反映され、委員会や運営委員会はサークルの意見に基づいて原告の諸活動を展開している。原告の活動の一つである例会活動については、総会において年間企画が決定されるのであるが、総会において決定されるまでの経過は次のとおりである。まず、原告の企画部が総会の開催される前に全会員に対しアンケートを求めて会員の意見をつかむとともに、過去に開催した例会の評価ならびに右アンケートをもとにして行うサークル単位の総会または年間企画の話し合いで討議し、集約された意見をブロツク会議に付議し、ブロツクとしての企画案を作り、企画部または年間企画委員会は提案された右企画案をもとに企画部としての一応の案を作成する。委員会は右企画案について埼玉県内の他の労音や関東労音連絡会議、全国労音連絡会議などと経験交流をかねた話し合いを行ない、共同企画その他の調整をして委員会としての原案を決定する。右原案はさらに各サークルの討議に付し、その意見をブロツク会議等を通じて適宜委員会に反映させるとともに、委員会は右原案を原告の総会にかけて最終的に決定するのである。例会の内容と期日が決定されると、委員会はまず会場を借り受けるとともに会場の設営、例会内容の学習、教宣、当月分の会費の徴収等の活動をするのであるが、右活動には委員会のみならず、各サークル単位でサークル、会員が交代で積極的に参加し、活動を分担するのである。すなわち、原告は例会開催日のかなり前から例会についての解説、案内その他を内容とした機関紙を発行し、ポスター、チラシ、会員券等を作成するのであるが、それらはすべて宣伝部を中心としたサークルないし会員の手で作成させる。また、例会についての各サークル、会員に対する伝達や座席の決定会員券の配布等もサークル代表者を通じて会員自らが行ない、例会前日の会場の設営、例会当日の例会管理、例会終了後の会場の片附け等も、例会開催ごとに数一〇名のサークルから交代で出る会員によつて行なわれている。しかも、例会に参加し得る者は会員のみであつて、会員でない者は例会に参加することができない。このように、例会は会員各自が共同して行い、会員各自が見たり聞いたりするものであつて、会員に見せたり聞かせたりするために例会を行なつているものはいないのである。ところで、入場税法は一定の個人または法人が多数の自己以外の外部の第三者に対して見せたり聞かせたりするところの催物を主催し、その第三者から入場料金を領収することを課税原因としているのであるから、原告の例会は同法上の「催物」に該当しないといわなければならない。

これを別の角度から検討すると次のようになる。一般的に社団とは自然人の集団である。この集団の構成員である自然人は、集団以外の第三者と交渉をもち、また集団の構成員同志で内部活動をなすのであるが、この集団は、集団以外の第三者に働きかけることを目的として形成されることもあり、また集団内部の構成員が集団以外の第三者に働きかけることを目的とせず、構成員の内部的な活動自体を目的として集団を構成することもある。後者の集団の場合には構成員から独立した独自の社団は存在しない。一般に社団は構成員から独立した独自の存在であり、構成員の意思とは無関係に別個の独立した意思をもつといわれているが、その意味は、構成員に増減変動があつても社団は構成員の変更にかかわらず同一性を継続するとみなすべきであり、また多数の構成員の意思と異なつた少数の構成員があるときは、多数の意思をもつて社団の意思として取り扱おうという擬制、あるいはそのように取り扱うとの約束を別の言葉で表現しただけのことであつて、それ以上の意味を有するものではない。原告の会員は、よい音楽を安く聞き、音楽を通して国民文化を向上させたいという目的で実費を醸出しあい、会員が協力して音楽家を呼び、例会会場を設営して音楽を聞いているのであり、原告の会員は、会員から独立した存在である社団というものを相手として交渉し、社団と何らかの取引をしているわけではない。

以上のことはさらに次のようにもみられる。人格のない社団は自然人の集団であり、その法律上の性格は社団という側面(社団性)と会員の集合体という側面(集団性)との二重の面から成立する。社団の財産は会員全体の総有に帰属するというのは会員の集合体という側面より生ずる関係であり、社団は代表者の行為により契約関係をもちうるとか、社団は会員の増減変更にかかわらず同一性を保持するというのは社団性に基づく関係である。この二面性は、いわば「一即多」ということに帰着する。「一即多」が一と多に分解できるのは、社団が法人格をもつた場合にはじめて実現できるのである。社団が法人格をもてば法人格をもつた社団が一であり、会員は多であつてそこにはつきり区別が発生する。右性格のうち社団性が重要性をもつのは、主として社団の外部関係すなわち社団と取引関係に立つ第三者との取引の安全の保護が要請される領域においてである。これに反し社団の内部関係においては、構成員が社団と対立した関係に立ち、外部関係におけると同様対立当事者的関係に立つた場合には社団性も重要性を有するが、社団内部に利害関係の対立がなく、合同行為的関係にある場合には社団性は重要ではなく、集団性が重要となつてくる。そして、集団性を基調とする内部活動においては、役員の活動は他の会員と同一の立場に立ち、同一の目的に向つて協力しあう、いわば合同行為の中の一部であるにすぎない。原告の会員は、よい音楽を安く聞き、音楽を通じて国民文化を向上させたいという目的で実費を醸出しあい、会員が協力して音楽家を呼び、例会会場を設営して音楽を聞いているのであつて、いわば構成員の内部的な活動自体を目的として集団を構成しているのである。かかる場合には構成員のほかに構成員から独立した構成員と対立する独自の社団は存在せず、その法律関係を規律するものは集団性の原則である。したがつて、原告の例会活動から生ずる法律関係を規律するものは集団性の原則であるから、例会においては会員各自が見たり聞いたりする関係は存在しても、原告が会員にみせたり聞かせたりする関係、すなわち主催者と観客のごとき関係は存在しないのであるから、例会は入場税法上の「催物」には該当しない。

また、入場税法上の「催物に該当するか否かの基準としては、団体構成員中音楽等を見たり聞いたりするための費用の分担金を醸出する者としない者との二者があるか否か、あるいはその醸出額に差別のある二者があるか否かが重要であり、右いずれかの差別的措置が存在すれば催物といえる場合があろう。しかし、原告の会員はいずれも同額の費用分担金を醸出しているのであるからこの点からも例会は催物に該当しないものである。

原告が前記のごとき諸活動を行なうためには費用を要するのであり、会員は右費用を分担して負担する義務があり、会費として原告に譲出している、しかし、右会費は会員たる身分の取得および存続のための条件であり、会員は例会に出席すると否とにかかわらず、労音活動を支える経費の分担として会費の醸出義務がある。これらの会費はすべてが原告の例会開催に要する費用にあてられているのではなく、その他に機関紙等の発行費用、ステツカー、チラシ、署名用紙、パンフレツト、テキスト等の作成費用(これらは主として原告の内部の組織宣伝、学習、研究等のためのものであつて、必要に応じて作成され、サークル、会員に配布される)、その他の組織活動費用にもあてられている。会費の使途のうち例会開催に要する費用の使途についてのみいえば、近年の物価値上りの傾向からして計画的に消費されている。すなわち、一年間に開催される例会のうち一年の前半に開催される例会については経理上の黒字になるようにして、その後半に開催される例会の経理上の赤字を補えるようにし、また物価の値上りに関係なくある月の例会については黒字になるようにして、他の月の例会の赤字を補うようにも計画している。したがつて、会費は個々の例会と対応関係を有するものでないから、入場税法上の「入場料金」には該当せず、少くとも会費全額が入場料金ということはあり得ないものである。

(二) 課税方式の違法性

被告は、本件課税処分の対象となつた例会につき、「当該催物の開催その他当該興業上等に入場させるために要した経費の額を当該興業場等に通常入場させることができる人員の数(定員数)で除して得た額」(入場税法第七条第一項第二号)を一人一回の入場料金として、「同号の規定により、同号の経費を除するに用いた人員の数の入場者があつた」(同法第七条第三項)ものとして入場税額を算定して本件課税処分をなした。これは経費課税方式といわれるものであるが、被告は、右課税方式を採用した合理性につき「会費と催物との対応関係が不明であつたため、特定の催物の対価として、いつ、いくらを領収するかが直接明らかでなかつたから」と主張する。しかし、対応関係が不明であれば対応関係を明らかにするまで調査して、右調査に基づく入場料金と入場人員に基づいて課税すべきである。のみならず右課税方式は、同方式の計算による数値が「当該各号に掲げる金額を入場料金として入場の際領収したものとみなす」、「人員の数の入場者があつたものとみなす」もの、つまり入場料金でないものを入場者とみなすものであるから、法律の特別の明文ある場合のみ許される課税法式であり、入場税法では第七条が右方式を許容する規定であるから同方式が採られるためには同条の要件を備えた場合でなければならない。しかるに、右各例会の場合には右要件を充足しないにもかかわらず、被告は右方式を採用して違法な課税処分をなしたのである。なお右方式は、被告だけでなく全国各地の税務署長も各地の労音が開催した例会についての課税処分をなす際採つていた方式であつたが、その後各地の税務署長は、昭和三九年一月以降に開催された各例会から課税方式を改めて、会費そのものを一人一回の入場料金とみなし、右料金に実際に入場した者の数と称する一定の人員数を乗じ、もつて入場税を課税するいわゆる券面課税方式を採用した。しかし、全国各地の労音の実体は課税方式が変更された前後を通じて変更されているものではないから、右課税方式の変更には何らの合理的理由がない。課税方式が右のように変更されたのは、券面課税方式は経費課税方式と比較して調査のための時間、労力が著しく節約されるからであり」(経費課税方式においては直接個々の催物に要した経費等を個別的に調査しなければならないのに対し、券面課税方式においては会費の金額は公開されていることから、単に例会参加者の人員数を調べれば足りるからである)、また、経費課税方式より多額に課税できる券面課税方式により各労音に威圧を加えるためである。したがつて、合理的な理由がないのみか、不当な意図をもつてなされた任意な課税方式というべきであり、これまた明らかに違法である。

(三) 人格なき社団の法律上の地位

人格なき社団である原告は本来租税義務能力を有しない。

原告は前記のとおり人格なき社団の範疇に属する社団である。現行法では私法関係および公法関係において権利義務の主体となりうるものは原則として自然人たる個人(以下、単に個人という)または法人と定められているところから、法人以外の団体については、その団体がたとえいわゆる人格なき社団であつても社団自体に権利義務の帰属を認めることはできない。

ところで、今日では人格なき社団の活動によつて私法上の法律関係が発生し、それが有効とされている。しかし、その理由は、人格なき社団に権利能力が認められるからではなく、その社団が権利能力と行為能力を有する個人によつて構成される任意的な団体であり、人格なき社団の社会活動は団体を構成する右個人の団体員としての活動の総和であるからである。すなわち、団体を構成する各個人の団体員としての権利能力と行為能力が団体を代表して社会的に交渉をもつ代表者に集約されるからである。換言すれば、団体を構成する各個人が直接にあるいは間接に代表者に対して社団の目的に従い社会活動をなすにつき発生すると予測される私法的法律関係の内容をなす事項の処理を委任し、代表者はその受任した権限に基づいて対外的に私法的法律関係を発生させ諸活動を行なうのである。したがつて、右代表者は人格なき社団を構成する団体員全員の代理人であり、一般に用いられる意味での代表者ではない。ただ、一般の代理人と比べれば、委任の方法が間接的である場合を含み、委任の事項が包括的で、その内容が具体化する過程に特色があり、契約締結の場合委任者を表示することを要しないので、代表者なる言葉で表明されても差支えないのである。それゆえ、右代表者の受任権限に基づく諸活動によつて発生した私法的法律関係の法律効果は社団自体に帰属するのではなく、社団を構成する構成員全員に総有的に帰属するのである。原告の場合には、運営委員会の議長である委員長が全会員から委任を受けた権限に基づいて、全会員の代理人として代理行為を行ない、その結果発生した法律関係は全会員に総有的に帰属するのである。要するに、人格なき社団とは、社団を構成する組織されたところの社団財産を総有し、社団の目的のために社会的活動をなす構成員全員を指称する講学上の呼称であつて、構成員以外に構成員と対立し、第三者あるいは構成員と契約を締結する等の法律関係の当時者となる別個の人格なき社団が存在する関係(たとえば株式会社と株主との関係のような)ではないのであつて、これが日本の法体系の建前である。

もつとも、ある特定の法律の領域において、人格のない社団または財団であつても権利義務の主体となる能力を付与する必要と適性が実質的に認められるような場合に、その特定の領域に限り右能力を付与することも憲法秩序の下で許されるかどうかは別として、法技術としては予想されることである。しかし、その措置はあくまでも例外的であるから、右措置が採られる場合にはその特定の領域を規制する法律によつて右能力を付与する旨の明確な規定が設けられるべきである。とくに租税のように、国が国民に対して無償で財産的負担を強制する領域においてはそのような例外的な規定は明確に定めなければならない。このことは罪刑法定主義とならんで憲法が要請する租税法律主義の原則からいつても当然である。すなわち租税法律主義は租税が刑罰と同様な性格を有することから厳格に解釈しなければならないところ、この租税法律主義によれば、納税義務者、課税要件、課税物件の帰属、課税標準税率等については勿論のこと、税徴収の手続も法律またはその委任に基づく政令等によつて明確に定められていることを要するからである。

また、租税は租税義務者の有する財産によつて納付され、その有する財産から徴収されるものであるところ、前記のとおり人格なき社団においては代表者の行為によつて生じた私法上の法律効果は構成員に総有的に帰属し、社団自体には財産所有能力もないのであるから、かかる人格なき社団である原告には租税納付にあてるべき財産がなく、租税納付は不能といわなければならない。この点からも原告が租税義務能力を有しないことは明らかである。

(四) 人格なき社団の入場税法上の地位

人格なき社団は入場税法上納税義務者となり得ない。

入場税法は第三条において納税義務者を興業場等の経営者又は主催者と規定しているが、右「経営者又は主催者」が権利能力を有する個人又は法人であることを要するか否かについては、同条は勿論納税義務者となるべき要件が定められている同法第一条、第二条においてても何ら規定されていない。しかし、同法第二三条および第二五条ないし第二八条の各規定を総合して考察すれば、同法は納税義務者を権利能力のある個人または法人に限定し、人格なき社団については納税義務を負担することを否定する趣旨と解せられる。なんとなれば、第一に、同法第二三条は納税義務者である法人が合併によつて消滅した場合および納税義務者である個人が死亡した場合における納税義務の承継について規定しているが、人格なき社団の納税義務の承継については何ら規定していない。第二に、一般に租税法規においては納税義務者の納税を期すためにその犯則行為に対し例外なく各種の罰則規定を設けて間接強制する建前になつており、入場税法においては同法二五条ないし第二八条が犯則に関する規定であるところ、右各規定において可罰対象者とされている者は個人、法人の代表者、個人もしくは法人の代理人、使用人その他の従業者であつて、人格なき社団については何ら規定していないからである。

右のごとき解釈が正当であることは、日本国の法体系の建前と租税法律主義の原則からも明らかである。すなわち、前記のとおり現行法体系においては、私法関係および公法関係において権利義務の主体となりうるものは、原則として個人または法人と定められているところから、例外的にある特定の領域において法人格のない社団または財団に対し権利義務の主体となる能力を付与する場合には、その特定の領域に限つて右能力を付与する旨の明確な法律の規定がなければならないところ、所得税法、法人税法、相続税法等の法規においては、一定の要件を備えた人格なき社団または財団につき明文をもつて法人とみなして租税債務を負担する能力を付与しているものに対し、入場税法においてはかかる明文の規定は存在しないからである。

また、昭和三七年二月二一日国税通則法の政府原案が国会に提出されたが、右原案第一三条では人格なき社団等について「国税に関する法律の規定については法人とみなす」旨規定されていたところ、右条項は国会の審議において第三条として人格なき社団等について「法人とみなしてこの法律を適用する」旨に修正され、同年四月二日に両院を通過し、さかのぼつて同年四月一日から施行されるに至つた。さらに、同年四月一日施行された改正入場税法の第二八条においては、人格なき社団に関する両罰規定が設けられていたのであるが、右国税通則法の政府原案の修正可決にともない右両罰規定が死文ないし空文と化したので、同年四月二日成立し、同月一日施行された国税通則法の施行等に伴う関係政令の整備等に関する法律(以下整備法という)によつて右両罰規定も削除されるに至つた。このように入場税法の人格なき社団等に対する両罰規定は設定、削除とめまぐるしい変転を示したわけであるが、入場税法第二八条の改正規定(人格なき社団に関する両罰規定)と国税通則法政府原案第一三条(人格なき社団を国税全般について法人とみなす規定)との関係について、参議院法制局長は「入場税法二八条の改正規定は国税通則法政府原案一三条を前提として改正せられる規定であり、仮に国税通則法一三条の規定が将来通過成立せず、入場税法二八条の改正案そのままの形の法律が先に成立した場合においては、入場税法二八条の改正規定の改正部分は死文か空文になるので、その点は何らの改正を加えなかつた現行法の二八条と同じだと思う」旨答弁しているのである。右のごとき国税通則法および改正入場税法の経過によれば、入場税法においては人格なき社団は同法上の納税義務者となり得ないと解するのが妥当である。

被告は、入場税法第八条に定められた免税興業に関し、同別表上主催者欄第四に「社会教育法第一〇条の社会教育団体」が掲げられているところ、社会教育法第一〇条は「この法律で社会教育団体とは法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行なうことを主たる目的とするものをいう」と規定されていることをもつて、人格のない社団が入場税法上の納税義務を負担する一つの根拠とする。しかし、入場税法第八条は、本来納税義務者が納税すべき場合の免税に関する規定にすぎないのであるから、同条項別表上主催者欄第四の「社会教育団体」は納税義務者となりうる適格団体に限られるべきである。社会教育法は、同法第一〇条のような一般的規定を設け、その規定の解釈について文部大臣および教育委員会(同法第一一条参照)、さらには国または地方公共団体(同法第一二条参照)に広範な裁量を許している。このことは、同法における当該団体の法律上の地位に由来するものと解せられる。すなわち、法は文部大臣または教育委員会に命じて当該団体に対してその求めに応じて専門的技術的指導または助言を与え、さらに当該事業に必要な物資の確保につき援助を行なうよう配慮すべきこと(同法第一一条参照)を規定する。さらばといつて、当該団体に対しては「いかなる方法によつても、不当に強制的な支配を及ぼし、またはその事業に干渉してはならない」(同法第一二条参照)という規定を設けていることにみられるように、いうならば、一方的に与えるだけで何物も奪おうとしないのである。さらに、同法の構成をみるに、「与える」についても当該団体に対して「権利授与の方式を採らず、いうならば政策的かつ一方的な配慮にすぎないような表現をとつている。つまり、当該団体からの「求め」があつても、与えるか与えないかの裁量権は主務官庁が留保している仕組であるから、当該団体が法人であるか否かを問題にする必要はないのである。右に反し、租税法は社会教育法にみられるような与えるための法規ではなく、一方的に奪いとり、何らの反対給付を与えようとしない対蹠的な法規である。したがつて、租税法規にあつてはその性格からみていささかの疑義の存在の許されないし、行政庁による恣意的な拡張解釈や類推解釈は禁止されなければならない。このことは租税法律主義の中核命題である「明確の原則」からいつても明らかである。要するに、入場税法の納税義務者に関する基本法条は同条第一条ないし第三条であり、同法第二三条第二五条ないし第二八条が右を補充する規定なのであつて、同法第八条別表上主債者欄に掲げられている者は、公募により公証され、かつ権利能力を有する者、すなわち個人または法人に限られ人格のない社団は含まれないと解すべきである。右の解釈が妥当であることは、税法上では「者」と「もの」の用語が慣行的に使い分けられていることからも明らかである。すなわち、入場税法第八条第一項、第二項には「別表の上欄に掲げたる者」と、同条第三項には「入場税の免税を受けようとする者」と、同条第四項には「前項の規定により申請書を提出した者」と、同条第六項、第七項には「入場税の免税を受けた者」と規定されているが、この「者」という表現は、税法上において慣行的に個人および法人のごとき人格を指称する場合の用語である。このことは、所得税法第二条第一項八号および法人税法第二条八号が「法人でない社団又は代表者又は管理人の定めがあるもの」と表現して「もの」とは権利能力なき社団を指称する場合の用語であることを示していることからして明らかである。したがつて、入場税法第八条は免税を受けうる者は個人または法人であることを予定していて、人格なき社団を予定していないのである。

また、人格なき社団 は、社団を構成する組織されたところの、社団財産を総有し、社団の目的のために社会的活動をなす構成員全員を指称する講学上の呼称であつて、構成員と別個に独立した人格なき社団が存在するものでないことは前記のとおりである。したがつて、人格なき社団である原告が納税義務者であるということは、社団財産の総有者であり、社団を構成する原告の会員が納税義務者であるということを意味する。しからば、原告の会員は入場税法上の「主催者」であると同時に「入場者」であるか、あるいは、原告主張の例会は「入場者」がなく、「入場料金」の領収なき催物であるという矛盾が生じるのであり、結局人格なき社団は同法上の納税義務を負担しないといわなければならない。

(五) 入場税法は憲法第二五条に違反する。

(1) 入場税法の立法経緯

入場税は昭和一三年に支那事変の戦費を調達するために「支那事変特別税」の一つとして臨時に設けられた戦時課税である。当時日本は軍国主義体制をますます強め、中国をはじめとするアジア侵略を決定的に開始した時期で、そのため軍時費が極端に膨張し、従来からの税収奪だけでは到底国の財政を賄うことができなくなつた。そこで政府は「公債」を増発するとともに、税による大衆収奪の強化を目論み、「物品税」や「遊興飲食税」等とともに「入場税(税率一〇パーセント)」を設けたのである。またそれは当時の軍国主義的風潮である”軍事絶対、ぜいたく追放”、”文化否定”の一翼を担つて登場したものである。そのため政府は戦争を拡大して軍事費を大膨張させるとともに、文化罪悪視の軍国色風潮の下に入場税の税率を引きあげ、敗戦時には入場料金の二〇パーセントにも及ぶ税金をかけて”ぜいたく追放”の名の下に”文化抑圧、大衆収奪”を行なつていたのである。入場税が設けられた右経緯から明らかなように、入場税はもともと娯楽税奢侈税であり、高級な消費のできる者は担税力があるというのがこれを課す根拠である。しかし、戦後の経済復興の目的が果された今日において映画を見たり、音楽を聞いたりして楽しむことをぜいたくな行為とはいえず、またそれに費やす金員を高級な消費とはいえないのであつて、入場税法は今日においては次のような役割を果すに至つているのである。

(2) 入場税の今日における役割

<一> 入場税は他の間接税と同じく税による大衆収奪の役割を忠実に果している。すなわち、年間の入場税一〇〇億円(ただし、音楽、舞踊等に対する入場税は約七億円弱である)の殆んどを実質的に負担しているのは、前記のとおり経済的に余裕のある人達ではなく、低賃金、重税、高物価にあえいでいる貧しい勤労大衆である。その原因は、その利用者の大部分が勤労大衆であることのほかに、この税金がぜいたく税とされながら、その実一人一回の入場料金の免税点を低くして、現実にはすべての入場料金に対して課税する結果となるような課税方法を採つていることから明らかなように大衆収奪の意図で貫かれているからである。このように入場税は勤労大衆、低所得者に極端に重い大衆課税の典型的なものであつて、他の間接国税とともに今日の税による大衆収奪の一翼を担つているのである。

<二> 文化の発展を阻害する役割

入場税は今日の日本文化の発展を著しく阻害する役割を演じている。原告のように 「よい音楽を安く、多くの人に!企画運営は会員の手で!国民音楽を創造育成しよう!」とのスローガンの下に勤労者が結集し、月本の音楽文化の向上のために大きな貢献をしているもの、演劇部面で原告同様の活動をしている労演等にとつて入場料金額の一割にも及ぶ入場税はその活動上大きな障害である。それは現在の低賃金、重税、高物価がこれらの会員の大部分を占める勤労者の生活を圧迫し、数十円の会費の増額によつてさえかなりの数の会員がその負担に耐えられずに意に反して参加することができないという一事をもつてしても明らかである。また一部の流行歌手の興業等を除いたいわゆる純音楽や演劇、舞踊等の公演にも大きな支障をきたしている。これらの大部分のものは出演者その他の関係者の非常な犠性と努力によつて細々と行なわれており、右の人達の経済はおおむね赤字で、それを他のアルバイト等で埋めているのが実情であるといわれている。しかるに、これらの公演に対しても入場税が課されていることは日本文化の発展を阻害する結果となつているものである。さらに映画文化においても入場税は映画の斜陽化の傾向に拍車をかけ、そのために映画界の一部にいわゆるエロ物やグロ物をはんらんさせ、日本の映画文化に問題を投げかけるに至つている。

<三> 民主的運動や民主的諸団体を弾圧する武器としての役割

入場税は、今日その本来の目的を逸脱して後記のとおり民主的諸運動や民主的諸団体を弾圧する武器としての役割を演じている。

(3) 現行憲法は、戦争を放棄するとともに第二五条において国民の文化生活を保障し、そのために国の義務を規定して文化国家の建設を宣言している。同条に規定されている「健康で文化的な最低限度の生活」の意義は、諸種の条件によつて決定されるところの相対的概念であり、戦後の経済復興の目的が果された今日においては映画、演劇等を観賞し、音楽を聞くなどの行為は、社会生活が復雑化し、合理化、労働強化の下におかれている勤労者にとつて人間が人間に価する生活を営むために欠くことのできないことである。したがつて、軍国主義的、文化否定的、臨時法的性格を有し、その存在の根拠そのものに既に失われ、大衆収奪の一翼を担い、文化の発展を阻害し、民主的運動と民主的諸団体を弾圧する役割を演じ、勤労者が人間に価する生活を営むために欠くことのできない映画、演劇等の観賞を阻害する入場税法は憲法第二五条に違反するものである。

(六) 仮に入場税法が憲法第二五条に違反しないとしても、原告に対し入場税を課すことは同条に違反する。

原告は前記のとおり勤労者によつて組織されている団体である。ところで、勤労者の労働条件は労働強化の進行によりますます非人間的なものになつてきている。したがつて、勤労者はその労働力を回復し、憲法の保障する人たるに価する生活を営むためにはたまには映画、演劇を観賞し、あるいは音楽を聞くことができなければならない。しかし、勤労者の賃金は極端に低いばかりでなく、その低い賃金に対してさえ国は最低限度の生活にくい込む形で所得税を源泉徴収し、その他重税を課しているため、勤労者がこの中から労働力回復のための文化費等を捻出することは不可能である。それに対し、一般の興行主の興業は極めて高価であつて勤労者がこれを観賞することは他の生活を犠性にしない限り不可能に近い。のみならず、その興業の実態は類廃的であり、植民地主義的であり、軍国主義的でさえあるので、勤労者は一般の興行主の興業によつて真の文化的欲求を満足させることはできない。このような状態は国が憲法第二五条に規定された義務を履行していないことから現出しているのである。そこで勤労者はやむを得ずその自衛手段として労音運動を組織して自分達の文化的欲求を満しているだけでなく、勤労者を中心として広く音楽文化を推進発展させるなど、多くの輝やかしい成果をあげているのである。したがつて、前記のとおりの歴史と性格をもつ入場税法を、勤労者で組織し、自らの人間生活としての文化的欲求を満し、広く音楽文化運動を推進発展させる労音運動を行つている原告に対して適用し入場税を課すことは憲法第二五条に違反する。

(七) 本件課税処分の弾圧的性格について

原告は、前記のとおり入場税の納税義務を負わないのであるから、原告が訴訟において入場税の納税義務を負わない旨主張することは現在の訴訟手続においては当然のことであるし、原告の会員がこの問題を研究し、入場税の納税義務のないことの確信に到達することも原告の内部行為であり、被告および国税庁から介入されるべき筋合ではなく、また原告がその訴訟の意義について市民に訴えることも表現の自由として当然のことである。ところが被告および被告を指導する国税庁ならびに政府は、原告が勤労者精神に基づいて前記諸活動を展開していることを嫌悪し、思想、信条による差別待遇をなす意図を有していたところ、たまたま入場税問題に関し紛争があるのを奇貨としてこれに藉口して次のとおり原告の活動を妨害することに専念している。

(1) 被告および被告を指導する国税庁は、原告その他の労音を反税団体とレツテルを貼り、特別取扱いを要する団体、すなわち「特団」と呼んで、租税原則である”徴収費最小の原則”さえ無視して労音担当に職員を大量に配置するなど違法な差別取扱いをなしている。

(2) 被告および被告を指導する国税庁は、会場所有者に対し労音に対して会場を貸さないように、また経営者等に対し労音の機関紙に広告を出さないように、労音のサークルに補助等をしないようにとの指導をする旨の積極的な方針を決めるとともに、労音の役員、サークルの代表者に対しては入場税を申告するよう種々の圧力をかけ、会員が勤務する職場、会社等の有力者に対しては労音が納税非協力団体だからこれに対し援助等を行なわないようにと働きかけをなし、その他出演者あつせんの関係者、官公庁、経営者団体の有力者に対して同趣旨の働きかけをなし、これらの者をして労音活動に圧迫と干渉を行なわしめて積極的に労音活動を妨害している。

(3) 被告および被告を指導する国税庁は、専らまたは主として労音運動を抑圧する目的のために立法手続を講じて法人税法、所得税法、国税通則法等の改正を行なつたばかりでなく、入場税法の改正を企図したことがある。

(4) 日経連は、昭和四一年春「労音に対して正々堂々と立ち向い一、九七〇年までにぶつつぶしてしまおうと”まきかえし”を宣言し、日経連が労働者の労務管理の一還として、経営者の思うままになる”人づくり政策”のために地域ごとに結束して作りあげた労音の対抗団体である音楽文化協会(以下、音協という)を発展させ、労音運動を妨害する決意を新たにしたが、被告および被告を指導する国税庁ならびに政府は、右のような日経連の動きに相呼応して前記のとおり権力を乱用しているのである。

(5) 昭和四一年四月二一日に当時の佐藤首相は音楽、舞踊等の関係者を首相官邸に招き、懇談の機会をもつたが、その際音楽会を代表して井口基成が音楽、舞踊等に対する入場税の徹廃を陳述したところ、同首相は右陳述に対して現在訴訟をやつている労音を喜ばせることになるから簡単にはいかない旨の答えをしているがこれは労音に対する敵意をむき出しにしたものである。

ところで行政行為は公益の目的に合するものでなければならず行政行為の内容が法に違反し、違法と認められるべき場合および公益目的に反し不当と認められるべき場合は、ともに瑕疵ある行為として取消しを免れないものであるところ、本件課税処分は前記のとおり労音に対する介入、抑圧の前提条件を作るためになされたものであつて、その目的において違法であり、また現実においても違法な作用を営んでいるものである。

4 訴願前置

原告は適法な訴願手続を経たけれどもいずれも棄却された。

二、原告の主張に対する被告の認否および主張

1 認否

(一) 原告の主張の1、同2の各事実は認める。

(二) 同3の事実中、(二)の被告は本件課税処分の対象となつた例会につき、当該催物の開催その他当該興業場等に入場させるために要した経費の額を当該興業場等に通常入場させることができる人員の数(定員数)で除して得た額を一人一回の入場料金として入場税額算出の根拠としたこと、被告が右課税方式を採用したのは、会費と催物との対応関係が不明だつたため特定の催物の対価として、いつ、いくらを領収するものであるかが直接明らかでなかつたからであること、右課税方式は被告だけでなく全国各地の税務署長も各地の労音が開催した例会についての課税処分をなす際採つていた方式であつたが、その後各地の税務署長は昭和三九年一月以降に開催された各例会から課税方式を改めて、会費そのものを一人一回の入場料金とする取扱いをなしたことは認め、その他はすべて争う。

(三) 同4の事実は認める。

2 主張(本件課税処分の適法性)

別表二記載の日時、場所で同表記載の内容で開催された原告主張のいわゆる例会なる音楽等の上演は入場税法第二条第一項の「催物」に、原告は同条第二項の「主催者」に、その催物につき原告が会員から領収した原告のいわゆる会費(別表二に一人一回の入場料金と記載されたもの)は同条第三項の「入場料金」にそれぞれ該当し、原告は右入場料金について入場税を納める義務があるにもかかわらず、申告および納税を行なわなかつたので、被告は原告に対し、国税通則法第二五条により調査確認した限度の別表二記載の入場人員、入場料金に基づき、別表一記載のとおり入場税を決定し、同法第六六条第一項第一号により無申告加算税の賦課決定を行ない。本件課税処分がなされるに至つたものであつて、右処分は以下に述べるようにもとより適法である。

(一) 本件課税処分の対象となつた各例会は入場税法第二条第一項の「催物」に、原告は同条第二項の主催者に、原告の会費は同条第三項の「入場料金」にそれぞれ該当する。

原告は、前記のとおり、人格なき社団であるから、社会的な実態としてはその構成員たる個々のサークルないし会員から独立した地位にあつて、個々の会員とは対立する関係に立ちうるものであり、例会は原告が原告自身の事業として行なつているものである。すなわち、原告は良い音楽を安く聞き、これを通じて豊かな情操と文化教養を高め、音楽文化の普及と発展を図るため、規約に基づき最高議決機関である総会において例会についての基本的な方針を定め、実行機関である運営委員会が総会の議決したところにしたがつて原告の名において適当な(もちろん会員の希望ないし意見を反映した)音楽家等と出演契約を締結し、秩父市内の会場を借り入れ、各例会ごとのための会費を納めた会員に整理券等の座席券を交付し、これにより入場を許可して演劇、音楽等を観賞させたり聞かせたりしている。したがつて、音楽家との出演契約等はすべて原告自身がその責任において締結するのであつて個々のサークルないし会員またはその代理人が各個別に締結するものでないことはいうまでもない。まして、会員の入会脱会は自由であり、当月分の例会の出し物を好まない等の理由からその月の会費を納めないと会員の資格を喪失し、会場に入場することは許されず、また各例会の出席会員が少なくとも数百名を超え、しかも当月分の例会の内容、日時等が決定し、宣伝されてはじめて会員となる者(当該例会の会費を納入した者)もあることからみれば、かかることはほとんど不可能である。原告はこのように例会の出し物の上演に必要な一切の活動を行なうものであるのに対し個々のサークルないし会員は個々の例会についての会費を納入することによつて座席券の交付を受けて会場に入場し、上演される出し物を観賞するにすぎない。したがつて例会は入場税法第二条第一項の催物に該当し、例会における原告と会員の関係は主催者と観客(入場者)の関係にあり、会費は入場料金に該当する。しかるに、原告は、例会は会員が自らの手で運営し、自らこれを観賞し、自らこれを聞いているのであり、第三者たる多数人に見せまたは聞かせる関係はないから例会は催物ではないと主張する。

ところで、入場税法にいわゆる催物は多数人に見せまたは聞かせるという要件を充すことを要するのであるが、その多数人は不特定人に限られるべきものではなく、団体等が構成員の総合的意思に基づいてその希望する音楽家等を招き会員のために興業の日時場所を決定し、音楽会等を催し、会員に聞かせる等の行為は同法上の催物たることを妨げるものではなく、会員が共同して音楽会等を企画し、立案する等の原告のいわゆる自主的運営としての面は、前記のとおり団体運営上の特色たるにすぎず、入場する多数の者(会員)から入場の対価 (会費)を得て催物を主催し、多数の入場者に音楽等を観賞させるものであることに変りはない。そもそも、原告が人格なき社団の範疇に属する団体である以上、団体の運営方法のいかんを問わず原告は会員から独立した法律的地位を有し、個々の会員とは対立する立場に立ちうるものであり、例会においては主催者と観客という関係が生じるのである。したがつて、原告の、原告は人格なき社団であるが例会観賞において原告と会員とは対立する当事者の地位に立ち得ない旨の主張は、人格なき社団としての性格を全く無視するもので不当である。

また、原告は、会費は入場税法にいう入場料金に該当しないと主張する。しかし、前記のとおり原告の会員は各例会ごとに当該会費を支払うことによつて原告の主催する例会に入場することができるのであるから、会費は入場に対する対価性を有することがあきらかである。すなわち、当該例会のための会費を支払わない者は原告の会員ではなくなり、座席券の交付を受け得ず、入場することも許されないが、右会費を納入すればこれを唯一の契機としてそれだけで当月分の例会の座席券の交付を受けて例会会場に入場して上演音楽等の観賞をすることができるからである。

(二) 課税方式の適法性

被告は、本件課税処分の対象となつた各例会につき、当該例会の開催に直接要した経費の額をもつて当該例会に対応する対価の総額とし、一人一回の入場料金はその額を当該会場に入場することのできる人員数(定員数)を計算上の基礎として除したもの(税込)とすることにして計算したが、それは次の理由からである。すなわち、入場料金の領収形態は映画館等におけるように、いつ、いくらの入場料金を領収するかが明らかである場合が普通であるが、労音のように会員組織による団体が毎月払い等の方法で継続的に会費を領収し、その会費を支払つた会員に催物を見せまたは聞かせているけれども、その催物の開催時期、開催回数が区々であるような場合には、その会費が催物への入場の対価であることは明らかであつても、その会費と催物との対応関係が不明であるため特定の催物の対価として、いつ、いくらを領収するものであるかが、直接明らかでない場合がある。そのような場合であつても原告は会員から催物を見せまたは聞かせるために会費を領収し、当該会員を催物の開催場所へ入場させているのであるから、入場税を課税しなければならないことは当然であるが、入場税の課税標準額等の申告は興業場ごとに毎月行なわなければならないし、一人一回の入場料金が三〇円以下であるときは入場税は課税されず、また入場料金の額によつては適用税率を異にすることから、前記のような算出方法によつて課税することにした。この課税方法は要するに右のような団体が領収する金額(入場の対価)を個々の催物ごとに算定して課税するための方法なのである。

したがつて入場税法第一項第二号所定のいわゆる「経費課税」とはその性質を異にするものである。右算定にあたつては右に述べたような理由から個々の催物に対応する対価の額を催物の開催のつど求めなければならないが、一般に入場の対価を設定するにあたつては、一催物に対応する対価の総額はその催物に直接要した経費の額を下廻るような定め方をしないと考えられることから、右のような場合においても催物ごとの経費は総額が最低限その催物に対応する時価の総額と考えるのが妥当であり、このような考え方は納税者にとつて有利とはいえても決して不利益ではないから、一催物の入場料金合計額(対価の総額)を算定するについての合理的な推計方法ということができる。ところで、一人一回の入場料金の算出であるが、右のように推計された一催物の入場料金合計額を実際の入場人員数で除して求めるという方法も考えられるけれども、その催物の実際の入場人員数によるときは、入場料金を支払いながら何らかの都合で入場しなかつた者を除外して計算する結果となり適当ではない。この場合右一催物の入場料金相当額に該当する入場の対価の負担者である会員数によつて計算するのがより適当な方法であろうけれども、会員の数は流動的であるからこの方法もにわかに採用できない。そこで、右のような団体が会員に催物を見せまたは聞かせるために設営した興業場等の定足数(立見席を含め通常入場することができる人員数)を重視することとなる。すなわち、催物が行われた場合の実際の入場者は右の定足数より下廻ることもあれば上廻ることもあるから、右の定足数なるものは平均値としての意味をもつてくるところ、右の定足数より下廻る数値を除数として用いることは納税者に不利益であり、さりとて右定足数より上廻る数値は定足数より上廻る入場者のあることが経験上通常とはいえないから、これを除数として用いることもできない、結局右定足数を一人一回の入場料金を算出する際の除数として採用し、課税最低限である三〇円以上であるかどうか等を判定するのが相当である。そこで、結局一人一回の入場料金は右一催物の経費の総額をその興業場等の定足数で除したもの(税込み)としたのである。被告は、本件課税処分の対象となつた各例会については会費と個々の例会との対応関係が不明確であつたことから右のような課税方法を採つたのであるが、右課税方法は右に述べた理由から最も合理的な課税方法である。

なお、右のような課税方式は、被告だけでなく全国各地の税務署長も各地の労音が開催した例会についての課税処分をなす際採つていた方式であつたが、その後労音の実態が調査されるにしたがい当該会費と例会とが対応していることが確認され、当該会費は通常一般の映画館等で入場者から領収している入場料金と本質的に何ら異なるところがないことが明らかとなつた。そこで全国各地の税務署長は、各地の労音が開催した各例会のうち昭和三九年一月以降に開催された例会については、当該会費の全額を一人一回の入場料金とする課税の取扱いをすることとし、入場料金つまり課税標準について入場税法第二条第三項の適用関係を明白にして課税の適正を期するようにしたのである。

(三) 人格なき社団の法律上の地位

原告は、団体としての組織を備え、多数決の原理によつて組織を運営し、規約によつて代表者選出の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が定められ、構成員の変更と無関係に団体としての統一性を持続する社団であるから、いわゆる人格なき社団である。人格なき社団の法律関係は、対外的にはその代表者を通じて自己の名において有効に私法上の契約を締結することができるなど法律生活の単位として存在することを認められており、したがつて自己の名において構成員全体のために権利を取得し、義務を負担する関係にあり、対内的には右社団の権利義務は各構成員に総有的に帰属する関係にある。したがつて、原告には法律上租税義務を負担する能力がある。原告は、原告が単なる個人の集団である旨主張するが、この主張は原告が人格なき社団の範疇に属する社団である以上、右のごとき人格なき社団の性質から採り得ない主張である。また、原告主張の自主的運営なるものは、社団がそれそれの目的、構成員等の如何にに応じて程度の差こそあれ、それ自体の独自性ないし自主的民主的運営方法を有するものであることは当然であるから、それらは事業運営上の特質として理解されれば足りその独自性等の如何によつて社団としての法的性質ないし地位の理解において質的差異の生ずるものではあり得ない。さらに、原告は、人格なき社団たる原告は法人格を有しないから、入場税納税義務は社団自体でなく構成員に総有的に帰属する旨主張するが、前記のとおり権利義務が構成員に総有的に帰属するというのは、人格なき社団の対内的な法律関係についてのものであり、対外的には人格なき社団は自己の名において権利を得、義務を負うものであるから、右主張は失当である。

(四) 人格なき社団の入場税法上の地位

入場税法はいわゆる間接税の一種であり、興業場等への入場について、その娯楽的消費支出に担税力があると認められることから「入場料金」なる経済的負担に対して課せられるものであり、納税義務者は、入場者から右課税対象となる「入場料金」を領収するものとして規制されているのであるから、右納税義務者のうち主催者についてみれば、その法人格の存否およびその態様のいかんにかかわらず、社会生活上の統一的活動体として、その名において当該興業場等をその経営者または所有者から借り受ける契約、当該「催物」のための演奏者、演技者等との出演契約、その広告、宣伝、会報等関係印刷物の請負契約の締結および関係諸経費の支払等の契約当時者として活動し、現実に催物を主催しうる法的地位を有するものであれば足りるのである。したがつて人格なき社団も入場税法上の納税義務者たりうるのである。

右の解釈が正当であることは次の理由からも明らかである。すなわち入場税法第八条は免税興業について定めており、別表上主催者欄第四に「社会教育法第一〇条の社会教育団体」が掲げられているところ、社会教育法第一〇条は「この法律で社会教育団体とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で、社会教育に関する事業を行なうことを主たる目的とするものをいう」と規定されており、右団体のうち法人に属しない人格なき社団であつても本来入場税法上の納税義務者であることが明記されていること、さらに同別表上主催者欄第一にいう「児童、生徒、学生または卒業生の団体」は、通常法人格を取得するに適せず、そのほとんどが法人格を有していない公知の事実からみても、その団体の「人格性」を問題としないで、右免税興業が規律されていると解されることからである。

右のような解釈は租税法律主義に反するものではない。すなわち租税法律主義は「租税を創設し、改廃するのはもとより、納税義務者、課税標準、徴税の手続は法律に基づいて定めなければならないと同時に法律に基づいて定めるところに委せられている」ことを意味するところ、人格なき社団が入場税法第三条所定の納税義務者に該当するか否かは同条項の解釈の問題であり、同条項の解釈上人格なき社団が納税義務者に該当すると解釈される以上、租税法律主義に反するものではないからである。仮に、法人格を有する社団は入場納税義務があり、法人格のない社団は同義務がないとすれば、租税原則である負担の公平の原則にも反することになる。

なお、税法中昭和四〇年法律第三三条による改正前の所得税法第一条第七項、昭和四〇年法律第三四号による改正前の法律税法第一条第二項、相続税法第六六条第一項等においては、「法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めがある」人格なき社団について明文をもつて規定しているが、それらはいずれも右各税法の規定の仕方の特殊性に由来するものである。右のうち法人税については同法人税法第一条第一項において租税義務者を「法人」に限定してこれを基礎にした構成をとつているので、いわゆる法人格を有していないが「法人」と同様に独自の社会的活動を行なつている団体が存することに着目して、これを右同様の法規制の対象とするために同条第二項の「みなす規定」を設けたのであり、所得税法および相続税法については、右の所得税法第一条第一、二項、相続税法第一条、第一条の二においていずれも納税義務者を一定の「個人」と限定しているため、「個人」以外のものでもこれと同様に取り扱うことが相当と認められる領域において右「個人」を基礎とした右両法体系の適用をこれらに及ぼすためには、その旨の特別規定が必要となり人格のない社団について前記の「みなす規定」を特設しているのである。したがつて、右各税法と規定の仕方を異にする入場税法に右同様な「みなす規定」が存在しなくとも、人格なき社団を納税義務者とすることに何ら差支えないのである。

原告は、昭和三七年二月二一日国会に提出された国税通則法の政府原案が両院で修正可決されたこと、入場税法第二八条の改正規定が削除されたことをもつて、人格なき社団が入場税法上の納税義務を負担しない根拠とする。しかし、右国税通則法の政府原案および入場税法第二八条の改正規定は、いずれも昭和三六年七月五日の答申に基づいて起草されたものであるところ右答申によると、人格のない社団等の納税義務については、限在一部の税法のみに規定されているにとどまるが、各税法に特別の規定がない限りこれを法人とみなして各税法を適用すべきであり現在そのように取り扱われているが、その旨を明文をもつて規定し、また罰則についても現行法の下では人格なき社団に対する適用の有無につき争いがあるので、規定の整備をはかることが適当と認められるとされているのである。したがつて、国税通則法の政府原案の修正、入場税法第二八条の改正規定の削除にもかかわらず、人格なき社団が入場税法上の納税義務を負担すると解すべきことに何ら支障はない。

さらに、原告は、「者」と「もの」の用語法について、法令上自然人、法人を通じ法律上の人格を有するものの単数または復数を指称する場合には「者」を用い、ある行為等の主体となるものとして自然人、法人のほかに人格のない社団、財団等が含まれる場合またはこれらの人格のないものだけが指称される場合は「もの」が用いられると主張する。しかし、具体的に個々の法令を検討するとこの点は必ずしも整然と統一されているものではないから、原告の右主張は正当とはいえない。すなわち、国税通則審査法第三七条第四項では「相続人その他の者又は合併後の法人その他の社団もしくは財団」を一括して「これらの者」と規定しているが「者」に人格のない社団等が含まれないとすれば、「これらの者」と一括規定したことが無意味となること、外資に関する法律第三条第一項第一号ハでは、特に人格のない社団等を含むものとして「もの」と規定しているが、同法第一七条第一項ではその範囲に人格のない社団を含んでいながら「者」と異なつた表現を用いていること、特許法第六条は「法人でない社団又は財団であつて、代表者又は管理人の定めがあるものは、その名において」「特許異議の申立」等をすることができると規定しているが、手数料に関する同法第一九五条および別表第五号等ではそれぞれ「別表の中間に掲げる者」、「特許異議の申立をする者」等としていることなどの例が見られるのである。

(五) 入場税法は憲法第二五条に違反しない。

原告は、入場税法は憲法第二五条に違反すると主張する。しかし、国家活動を営むにあたつて必要な財力はこれを租税として広く国家の構成員たる国民から徴収する必要があることは当然である。そこで、憲法三〇条は国民の納税の義務を規定し、同法第八四条は租税法律主義を規定しているのである。入場税法も国の租税政策に基づき、興業場等への入場については娯楽的消費支出に担税力があるものとして、その経済的負担に対して入場税を課そうとするものである。現行入場税法は、右趣旨に基づいて昭和二九年法律第九六号として制定され、数次の改正を経て今日に至つているのであり、もとより憲法第三〇条、第八四条に基づく法律であつて憲法第二五条に違反するものではない。原告の前記主張は、結局国家の租税政策の一般的当否を糾弾するものであり、もともと裁判所の権限外の事項について判断を求めようとするものにすざない。

(六) 原告に入場税を課すことは憲法第二五条に違反しない

原告は、原告に入場税を課すことは憲法第二五条に違反すると主張する。しかし、前記ののとおり入場税法は娯楽的消費支出に担税力があるものとして、その経済的負担に対してこれを課そうとする趣旨で立法された法律であり、本件課税処分も右法律に従い他の人格なき社団(同窓会、婦人会、青年団等)に対するものと全く同様に租税要件の充足如何を判断して行なわれた適法な処分である。原告に対して入場税が課せられたからといつて原告の会員ら(憲法第二五条にいう国民の中に法人、人格なき社団が含まれないことは明らかである。)が、原告の主張する映画、演劇、音楽等を観賞することができなくなり、その結果健康で文化的な最低限度の生活を営むことができなくなるわけではないから、原告の右主張は全く理由がない。また、今日における文化の対象の普遍性と文化領域の一般性を考えるとき、原告の会員が原告を通じてのみその文化的要求を満足するほかない状態かどうかは極めて疑問である。さらに、もし国家の任務が単にすべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営むことを保障するということだけにあるならば、いやしくもそうした最低限度の生活を営むことのできない者を生じるような課税処分は否定されなければならない。しかし娯楽的消費支出に対して入場税を課さなければならないという租税政策の要求は、いわゆる生存権の論理によつて単純にこれを覆えすことのできないものである。したがつて憲法第二五条の趣旨は十分尊重されなければならないが、そのことと入場税を課すことができないということは全く別個の問題である。なお、憲法第二五条の法意は、国は国民一般に対して概括的に健康で文化的な最低限度の生活を営ましめる責務を負担し、これを国政上の任務とすべきであるという趣旨であつて、この規定により直接に個々の国民が国家に対して具体的現実的にかかる権利を有するものではないから、同条に規定され生存権は、同法第三〇条、入場税法第三条の規定に反して納税義務を否定するような具体的権利を含むものではない。したがつて、いずれにしても原告の前記主張は理由がない。

第三証拠

一、原告

1 甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、第三号証の一、二、第四ないし第二九号証

2 証人町田和穂、同新井政子、同会沢重行、同浜田栄子(第一二回)、原告代表者田代健太郎、同千島正行

3 乙第一ないし第一五号証、第一八号証の一、第二一ないし第二四号証、第二八ないし第三三号証、第三四号証の一、二、第三五、三六号証、第三七号証の一、二、第三八号証の一、二、第三九号証の一、二、第四〇号証の一、二、第四一号証の一、二、第四二号証の一、二、第四三号証の一、二、第四四号証の一、二、第四五号証の一、二、第四六号証の一、二、第四七号証の一、二、第四八号証、第四九号証の一、二、第五〇号証の一、二、第五一号証の一、二、第五二号証の一、二、第五三号証の一、二、第五四号証の一ないし四第五五号証の一、二、第五六号証の一、二、第五七、第五八号証第五九号証の一、二、第六〇号証、第六一号証の一、二、第六三号証の一、二、第六四号証の一、二、第六五号証の一、二、第六六号証の一、二、第六七号証の一、二、第六八号証の一、二、第六九号証の一、二、第七〇号証の一ないし三、第七一号証の一、二、第七二号証の一、二、第七三号証の一、二、第七四号証の成立ならびに第六二号証の原本の存在および成立は認める。第一六第一七号証、第一八号証の二、第一九、第二〇号証の成立は否認する。その余の乙号各証の成立は知らない。

二、被告

1 乙第一ないし第一七号証、第一八号証の一、二、第一九ないし第二六号証、第二七号証の一、二、第二八ないし第三三号証、第三四号証の一、二、第三五、第三六号証、第三七号証の一、二、第三八号証の一、二、第三九号証の一、二、第四〇号証の一、二、第四一号証の一、二、第四二号証の一、二、第四三号証の一、二、第四四号証の一、二、第四五号証の一、二、第四六号証の一、二、第四七号証の一、二、第四八号証、第四九号証の一、二、第五〇号証の一、二、第五一号証の一、二、第五二号証の一、二、第五三号証の一、二、第五四号証の一ないし四、第五五号証の一、二、第五六号証の一、二、第五七、第五八号証、第五九号証の一、二、第六〇号証、第六一号証の一、二、第六二号証、第六三号証の一、二、第六四号証の一、二、第六五号証の一、二、第六六号証の一、二、第六七号証の一、二、第六八号証の一、二、第六九号証の一、二、第七〇号証の一ないし三、第七一号証の一、二、第七二号証の一、二、第七三号証の一、二、第七四号証

2 甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、第三号証の一、二、第一二、第一四ないし第二八号証の成立ならびに第一三、第二九号証の原本の存在および成立は認める。その余の甲号各証の成立は知らない。

理由

一、原告主張1、同2、同4の各事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

二、原告は本件課税処分はいずれも違法である旨主張するので以下遂次判断する。

1  原告は、本件課税処分の対象となつた各例会は入場税法上の「催物」に該当しないし、右例会につき原告の会員が醸出し、原告が領収した会費は同条上「入場料金」にそれぞれ該当しないと主張するので、右主張の当否については検討する。

前記当事者間に争いがない事実に、成立に争いのない甲第一四ないし第二四号証、乙第一ないし第一五号証、第一八号証の一、第二一ないし第二四号証、第三五、第三六号証、第三八号証の一、二、第三九号証の一、二、第四〇号証の一、二、第四六号証の一、二、第四七号証の一、二、第四八号証、第四九号証の一、二、第五〇号証の一、二、第五一号証の一、二、第五二号証の一、二、第五六号証の一、二、第五九号証の一、二、証人新井政子の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第四ないし第六号証、証人会沢重行の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第九ないし第一一号証、証人町田和穂の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一六、第一七号証、証人浜田栄子の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第一八号証の二、第一九、第二〇号証、証人町田和穂、同新井政子、同会沢重行、同浜田栄子(第一、二回)の各証言、原告代表者田代健太郎、同千島正行本人尋問の各結果(いずれも後記信用しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、証人町田和穂、同会沢重行、同浜田栄子(第一、二回)、の各証言および原告代表者田代健太郎、同千島正行本人尋問の各結果のうち右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。すなわち、原告は前記のような目的のもとに設立された団体であつて、三名以上の会員をもつて構成されるサークルを基本組織とするものである。会員はいずれかのサークルに所属することを原則としているが、いずれのサークルにも属さない個人会員もある。原告の会員となるには特に資格を必要とせず、入会金および会費を納めて既存のサークルに所属するか、あるいは三名以上一諸になつて新サークルを作ることにより誰でも入会することができ、脱会も自由でいつでも脱会することができる。サークルの基本的性格は会員の統括、把握をはかる一手段であり、換言すれば例会を成功させるための便宜的な一方法にすぎない。原告は規約によつて代表者選出の方法、最高決定機関である総会の組織および運営の方法その他主要な点を定めている。原告の機関としては、最高決定機関として役員および代議員によつて構成される総会、総会につぐ決定機関として委員、委員長、副委員長によつて構成される委員会、委員会の決定事項に基づく日常的な実践活動を行なう機関として正、副委員長、各専門部長、同副部長、事務局長、事務局において選出された事務局員によつて構成される運営委員会、委員会の提出事項を審議する機関として各サークル代表者によつて構成される代表者会議、運営委員会から依嘱された事項の検討、実践を行なう機関として正、副委員長、専門部長、事務局員によつて構成される専門部会 (専門部会には組織部、事業部、財政部、宣伝部、機関紙編集委員長、財政部、企画部、例会管理委員会が設けられている)が設けられ、役員として委員長、副委員長、委員、会計監査が置かれている。また、原告の運営に関し運営委員会を補助して一切の事務を行うため、運営委員会の統括の下に事務局が設けられていて事務局長および事務局員が置かれている。原告は、機関紙の発行、音楽に関する研究会、レクリエーション行事等をも行なつているが、原告の業務のうちもつとも重要なのは毎月例会を開催して音楽、舞踊等を上演し、会員にこれを観賞する機会を提供することである。例会における上演種目、演奏者等の決定方法については、総会において主として種目別(例えばオーケストラ、オペラ、ジヤズ等)の年間企画を決定し、委員会、運営委員会、企画部等が右年間企画の範囲内で具体的に演奏者等を決定する。右上演種目、演奏者等の決定にあたつては各段階において会員からアンケートを徴し、あるいはサークルないし地域における会員の討議を求めるなどして会員の希望や趣向を反映するように考慮が払われているが、上演種目、演奏者等の決定そのものは、原告の機関である総会、委員会等が原告が加入している関東労音連絡会議(埼玉県、千葉県、茨城県、群馬県、栃木県の五県に存在する各労音によつて構成される連絡機関であり、主として出演者の出演費を安価にするために各労音の企画の統一を行なう)において他の労音との調整を図りながら決定されている。そして、かくして決定され上演される種目はオーケストラ、声楽、舞踊、演劇、演芸等一般の興業における上演種目と全く異なるところがない。本件課税処分の対象となつた各例会の会場の借受契約、その使用料の支払は、ほとんどの場合委員長が原告の代表者名義で原告の名と責任においてなしており、たまに事務局員等その街に当る場合もあつたが、そのときには代表者である委員長からの委任に基づいて行なつていた。上演音楽家、舞踊家との出演契約の締結は、ほとんどの場合原告の代表者である委員長が関東労音連絡会議に委任し、関東労音連絡会議が前記したような各労音間の調整を行ないながらこれをなしている。会費は、例会が開催される秩父市産業会館の規模と例会に要する費用とを考慮して委員会が検討し、右委員会の意見を参考にして原告の総会において当該年度における各例会の入会金および基本会費が決定され、個々の例会開催にあたつて費用が右基本会費でまかなえない場合には委員会の決定によつて臨時会費が決められ徴収される。原告は、前もつて次に開催される例会の上演種目、上演目的、上演場所、上演者等を紹介した機関紙、ニユース、ポスター、チラシ等の印刷物を各サークルに配布し、これを各サークル所属の各会員に周知させるとともに、ポスターを街頭に設置し、あるいはチラシを街頭で通行人に配布するなどして、会員以外の者に対し入会して例会を観賞すべく勧誘する。原告の会員が例会に出席するためには、原則としてあらかじめ会費を納入し会員以外の者が例会を観賞するためには、原則としてあらかじめ入会金と会費を納入し、いずれもそれと引換えに原告名義で発行された整理券の交付を受け、それを例会当日会場に持参呈示して入場するのであるが、会員は自己の希望する上演種目が上演されないときは会費を納めないことによつて自由に脱会することができ、さらに一回脱会した者も観賞したい上演種目が上演されるときは、会費のほかに入会金を納付することにより会員となつて観賞することもできる。原告の主要財源は会員の納入する入会金および会費であり、それらは各サークルへの連絡費(電話代、通信費等)、機関紙等の発行費用等に費やされることもあるが、そのほとんどは例会開催の費用に費やされている。以上の事実が認められる。

ところで、入場税法第二条第一項は「この法律において催物とは、前条各号に掲げる場所(以下興行場等という)において映画、演劇、音楽、スポーツ、見せ物、競馬、競輪その他政令で定めるこれらに類するもので、多数人に見せ、又は聞かせるものをいう」と規定している。したがつて、同法上の「催物」とは、多数人に見せまたは聞かせる側の者と見たり聞いたりする側の多数人の存在を当然の前提とする概念であることが理解される。そして、このうち見せまたは聞かせる側の者が同法第二条第二項の「主催者」あるいは同法第三条にいう「経営者」であり、見たり聞いたりする側の者が「入場者」に該当することは、右第二条および第三条の規定の趣旨からみて明らかである。また、同法第二条第三項によると、入場料金とは興業場等の経営者または主催者がいずれの名義でするかを問わず興業場等の入場者から領収するべきその入場の対価をいうものとせられている。しからば、右認定事実から、原告は訴訟法上および実体法上通常用いられる意味でのいわゆる人格なき社団の範疇に属する社団であると認められること、および右認定事実中特に原告の業務のうちもつとも重要なのは毎月例会を開催して音楽、舞踊等を上演し、会員にこれを観賞する機会を提供することであること、例会において上演された種目はオーケストラ、声楽、演劇、演芸、舞踊等一般の興業における上演種目と全く異なるところがないこと、会費は会場の規模と例会に要する費用とを考慮して決定されること、原告はポスターを街頭に設置し、あるいはチラシを街頭で通行人に配布するなどして会員以外の者に対し入会して例会を観賞すべく勧誘していること、原告の会員あるいは会員以外の者が例会を観賞するためには原則としてあらかじめ会費あるいは入会金と会費を原告に納入し、それと引換えに原告名義で発行された整理券の交付を受け、それを例会当日会場に持参呈示して入場するものであること、会員は自己の希望する上演種目が上演されないときは会費を納めないことにより自由に脱会することができさらに一回脱回した者も観賞したい上演種目が上演されるときは会費のほかに入会金を納付することによつて会員となり観賞することができること、会費のほとんどは例会開催の費用に費やされていることの各事実を総合して判断すれば、本件課税処分の対象となつた各例会は、個々の会員とは別個独立の社会的存在である原告自身が会員である多数人に見せまたは聞かせるために主催したもの、すなわち、入場税法第二条第一項に規定する催物に該当するものと解すべく、またこれを主催した原告は同条第二項の「主催者」に、これを観賞した多数の会員は同条第三項にいう「入場者」に、そして会員が納入した会費は同項の「入場料金」にそれぞれ該当するものと認めるのが相当である。

なお、前記甲第四、第九号証、第一四ないし第一六号証、第一八、第二一、第二二、第二四号証、乙第二四号証、第四九号証の一および証人浜田栄子の証言第一、二回によれば、例会会場における入場者の受付、整理等の会場の管理、照明、出演者の接待等は会員の一部が交代でこれを行なつていること、右のような例会会場の管理、例会の運営に関与している会員も単に会場において音楽を聞くなどしているのみの会員と同額の会費を納めていること、原告の会員が例会において職業演奏家とともに音楽の演奏をなし、あるいは、プログラムの一部が会員による演奏によつて構成されることのあつたことが認められる。しかし、右各証拠によれば、例会会場の管理は協力を申し出たサークルなどの会員がなしているのであるがその数は入場者数に比較すれば極く少数にすぎないし、会員の手によつて会場の管理をなす目的は会員の負担に帰すべき例会経費の節減にあり、したがつて、右会場の管理に従事する会員は、労務を提供して経費の一部を補填しているものであることが認められるから、会場の管理に関する右認定事実は例会の性質を左右するものではなく、また演奏する者の中に会員が含まれていても、音楽等を見せまたは聞かせる側のものとこれを見たり聞いたりする立場の者が存在することにかわりはないから、その点に関する右事実の存在は例会の性質についての判断に影響を及ぼすものではない。

原告は、人格のない社団は自然人の集団であり、その法律上の性格は社団という側面(社団性)との会員の集合体という側面(集団性)とがあり、右のうち社団性が重要性をもつのは主として社団の対外関係についてであり、社団の内部活動すなわち社団内部に利害関係の対立なく、合同行為的関係にある活動については集団性が重要性をもち、そこには構成員のほかに構成員から独立した構成員と対立する独自の社団は存在しないところ、原告の例会活動は会員の共同の企画運営による対内的活動であり、したがつて集団性が重要なのであるから、会員各自が見たり聞いたりする関係は存在しても、原告が会員に見せたり聞かせたりする関係は存在しないと主張する。しかしながら、前記認定のとおり原告は会員とは別個独立の社会的存在としての人格なき社団であり、例会はその企画および運営等に会員の意思が反映されはするが、最終的には原告の機関である総会、委員会等の機関において形成された社団としての意思に基づいてなされているのであるから、原告は会員である多数人に観賞させるために例会を主催したといわざるを得ない。例会の企画およびその具体化の過程において団体員の希望が反映、参酌され、例会の運営が会員の手でなされることと、団体意思が構成員の意思とは別個独立の存在であることとは、あい容れない観念ではないのである。また前記認定事実からして原告が会員から徴収する会費は会員が例会の上演種目を観賞するための入場の対価たる性質を有するといわざるを得ないし、入場税法第二条の「催物」は多数人に観賞させるものであれば、その特定不特定を問わないものというべきであるから、原告の右主張は理由がない。

また、原告は、入場税法上の「催物」に該当するか否かの基準としては、団体構成員中に音楽等を見たり聞いたりするための費用の分担金を醸出する者としない者との二者が存在するか、あるいはその醸出額に差別が存するか否かが重要であり、右差別的取扱が存すれば催物に該当するといえるところ、原告の会員はいずれも同額の費用分担金を醸出しているのであるから、例会は「催物」に該当しないと主張し、前記甲第一四ないし第一六号証、第一八、第二一、第二二、第二四号証、乙第二四号証、第四九号証の一および証人浜田栄子の証言第一、二回によれば、原告の役員、事務局長、事務局員らはすべて原告の会員であり、右のような地位にない会員と同額の会費を醸出して例会において音楽等を見たり聞いたりしていること、事務局の専従者以外の会員らはいずれも原告のための活動をなすことによつて何ら経済的利益を得ていない労務等を提供していることが認められる。しかしながら、前記認定のとおり、例会を主催する者は原告の会員らではなく、人格なき社団としての原告であり、原告は例会費用の分担金を醸出していないのであるから会員が平等に例会費用の分担金を醸出することは、例会が催物であることを否定する根拠とはなり得ない。右事実は単に原告が営利団体ではないこと、そして社団としての原告の運営が右役員らの経済的、労務的負担にあずかるところが大きいことを示しているにすぎず、原告の右主張は理由がない。

原告は、会費は例会以外の原告の活動にも支出されること、会費の使途のうち例会開催要する費用の使途については、近年の物価上昇の傾向を考慮して年間に開催される例会のうち年の前半に開催される例会についてはいわゆる黒字になるようにして年の後半に開催される例会のいわゆる赤字が補えるように費やされ、また物価の値上りに関係なくある月の例会については黒字になるようにし、他の月の赤字を補うようにも計画されているところから、会費は入場税法所定の「入場料金」に該当せず、また仮に入場料金に該当するとしても会費の全額が入場料金ではないと主張する。しかしながら、前記認定のとおり、原告の活動の中心は例会活動であつて、例会活動以外の諸活動はいずれも例会活動を成功させるために副次的になされているものであり、会費の大半は例会開催に要する費用に充てられており、また、前記甲第一一、第一五、第二二号証、乙第三二号証ならびに証人浜田栄子の証言第一、二回および原告代表者千島正行本人尋問の結果によれば、会費の一部がレクリエーション等の費用の一部に充てられることもあるが、レクリエーション等の費用の大部分は当該レクリエーションに出席する会員の負担となつていることが認められる。しからば、右各事実からすれば、例会活動以外への会費の支出は、いわば例会活動の付随的活動について会費の余剰分を充てているにすぎないことが窺えるのであり、付随的活動への会費の余剰分の支出は会費全額が例会への入場の対価であることをそこなうものではない。また、例会によつては赤字となる場合もあることから、ある月の例会を黒字にして(会費の額によつて調整する)、他の月の赤字を補うような運営がなされていたことは、これを認めるに足りる証拠がない。のみならず、入場料金であるためには入場の対価であればよいのであるから、それが経費等の支出をまかなつてなお余剰金がでるようにして他の月の赤字をまかなうように計画されていたとしても、そのことは会費が入場料金であることをそこなうものではなく、原告の右主張は理由がない。

2  課税方式の適法性について

被告は、本件課税処分の対象となつた例会につき、当該催物の開催その他当該興業場等に入場させるために要した経費の額を当該興業場等に通常入場することができる人員の数(定員数)で除して得た額を一人一回の入場料金の額とみなして入場税額算出の根拠としたこと、被告が右課税方式を採用したのは、会費と催物との対応関係が不明であつたため、特定の催物の対価として、いついくらを領収するものであるかが明らかでなかつたからであること、右課税方式は被告だけでなく全国各地の税務署長も各地の労音が開催した例会についての課税処分をなす際採つていた方式であつたが、その後各地の税務署長は昭和三九年一月以降に開催された各例会から課税方式を改めて、会費そのものを一人一回の入場料金とする取扱いをなしたことについては当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二六号証によれば、昭和三八年三月四日付間消二-二をもつて国税庁長官が各国税庁あてに発した入場税法基本通達の第一、三条では、「会員組織による団体かその会員に催物を見せ、または聞かせるため、その負担金として催物の開催区分ごとに対応した会費によらず、継続的に会費等を領収している場合には、当分の間、次により取り扱うものとする。」とあり、その第一号に「催物の開催に要した経費の総額を、その催物の興業場等の定員の数で除して得た額を一人一回の入場料金の額(税込)とする。」と定めていることが認められる。

ところで、会員組織の団体が催物を主催していることは明らかであるが、個々の催物と会費との対応関係のみが不明である場合に、一人一回の入場料金の額の算定について推計の方法を採ること自体は何ら違法でなく、ただその推計方法の当、不当が問題となるだけである。原告は右のような推計方法は明文の規定がある場合のみ許されるべきものであると主張するが、右主張は理由がない。そこで、右推計方法の当不当について検討する。まず、一般に入場の対価を設定するにあたつては、一催物に対応する対価の総額はその催物に直接要した経費の額を下廻るような定め方をしないと考えるのが自然であるから、催物ごとの経費の総額がその催物に対応する対価の総額とみることは納税者にとつて不利益ということはできない。次に、一人一回の入場料金の額の算定にあたつて右対価の総額を実際入場した人員数で除して求めることは入場料金を支払いながら何らかの理由で入場しなかつた者を除外していることから納税者に不利益であり、原告の会員数で除して求めることも原告の会員数が月毎に流動的であるから妥当といえない。結局一般の場合催物が開催される興業場等の定員数を上回る数の入場者があることは経験上通常でないことから、例会が開催される開場の定員数をもつて右対価の総数を除して一人一回の入場料金の額を求めることも納税者にとつて有利で合理的な推計方法といわなければならない。原告は、右のごとき入場料金の算出方法は入場税法第七条において規定されているのであるから、同条の要件を備えた場合に限り許されるべきものであるのに、右要件を備えないにもかかわらず右のごとき算出方法を採るのは違法であると主張する。しかし、同条項は会員組織による団体が継続的に会費を領収し、当該会費の支払者を催物の会場へ入場させている場合に適用されるものではなく、被告は同条に基づいて右算出方法を採つたものではないから、同条項の要件を欠くとの原告の主張は失当である。また、会費と当該例会との対応関係が明らかになれば、右のごとき推計方法を改めて右対応関係に基づいて入場料金の額を算出することは何ら違法ではなく、ただその対応関係の存否が問題となるだけである。しからば、前記認定のとおり、会費の全額が当該例会と対応関係を有するのであるから、各地の税務署長が会費全額をもつて一人一回の入場料金の額と算定したことは妥当であるといわなければならない。したがつて、原告の右主張はいずれも失当である。

3  人格なき社団の法律上の地位について

原告は、まず人格なき社団は権利能力(義務能力を含む、以下同じ)を有しないこと、入場税法には人格なき社団の入場税納税義務を定める規定がないことを理由として、人格なき社団である原告は租税義務能力を有しないと主張する。そこで、人格なき社団が原告の主張するように現行法上権利義務の主体となり得ないか否かについて検討する。原告は、人格なき社団とは、社団を構成する、組織された、社団財産を総有し、私法的義務を総有的に負担しながら、社団の目的のために社会的活動をなす構成員全員を指示する語学上の呼称であつて、構成員以外に権利関係の当事者となる別個の人格なき社団が存在する関係ではないと主張する。しかしながら、一般に人格なき社団とは、共同の目的のために結集した人的結合体であつて、団体としての組織を備え、そこには多数決の原理が行なわれ、構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、その組織によつて代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定しているものを指称するのであり、右の意味における人格なき社団は、機関たる代表者の行為によつて対外的に団体として行動し、第三者と取引関係を結び、社団の名において構成員全体のために権利を取得し、義務を負担するものであつて、その活動の実体は社団法人と何ら異ならないものである。そして、国が団体に対して法人格を付与するゆえんは、実質において複数の個人の集合体である団体が、構成員の単なる集団ではなく、当該団体がそれ自身において社会生活上の一単位として活動しているものと観念されるが故に、自然人と同様、団体それ自体に一個の法律上の主体たる地位を与えて社会的実態と法律的形式とを合致せしめ、もつて団体をめぐる法律関係を明確かつ単純たらしめようとするにあるものと解すべきである。換言すれば、人格なき社団はその性質、組織、活動状況において法人格を有する社団と何ら異なるところがないものである以上、人格なき社団は実定上の権利義務の主体たりうべき根拠を社団性自体の中に包含しているものというべきであつて、実定法上明文の規定をもつて法人格を付与されることによつてはじめて権利義務の主体たりうる地位が発生するものではないのである。したがつて、法律がこのような社会的存在に対して権利能力を付与するかどうかはまつたく立法政策の問題であり、各実定法はそれぞれの立場からこのような社会的存在に対して当該実定法上の法律関係における権利義務の主体たる地位を付与することができるのである。それ故、私法の分野においては権利能力を付与されていない社会的存在に対して公法の分野において権利能力を認めてこれを法的規制の対象とすることも可能なのであり、それは結局当該公法の解釈の問題に帰するのであるから、租税法の分野においてかかる社会的な存在である人格なき社団に納税義務を負わせるかどうかも各租税法規がそれぞれ定めうるものであり、ある租税法期上人格なき社団が納税義務を負うものであるか否かはもつぱら当該租税法規の解釈によつて定まるべき問題である。したがつて、人格なき社団は権利能力を有しないこと、入場税法には人格なき社団の入場税納税義務を定めた規定が存在しないことを理由に人格なき社団である原告は租税義務能力を有しないとの原告の主張は失当であるといわなければならない。

次に、原告は、人格なき社団は実体法上権利能力がなく所有権を取得し得ないから、これに納税義務を課してもその履行は原始的に不能であるとして、人格なき社団である原告は納税義務者たり得ないと主張する。しかしながら、人格なき社団は前述したとおり社会生活上の一単位として存在し、代表者の行為によつて対外的に活動し、第三者と取引関係を結び、その効果は社団に帰属するものであつて、私法上権利能力を有しないためにその名において取得した財産につきその所有権の主体たることを法律上主張し得ないが、社会的には右の資産は社団に帰属し、社団が債務を負担した場合には(法律的には債務は構成員に総有的に帰属する)右社団の資産が、そしてそれのみが社団の債務の引当てとなる関係にあると解すべきである。そのために、民事訴訟法第四六条によれば人格なき社団に対する債務名義を得た者は社団財産に対し強制執行をなしうるのであり、また同条は、訴訟手続上の便宜から人格なき社団等にいわゆる形式的当時者能力を与えたもので実体法と全く関連性がないものとみるべきではなく、人格なき社団が実体法の上においても社団として権利義務の帰属主体たり得ることを実体法自体が承認していることの反映と解されるのである。したがつて、原告の右主張も失当であるといわなければならない。

4  人格なき社団の入場税法上の地位について

前記のとおり、ある租税法規上人格なき社団が租税義務を負うものであるか否かは、もつぱら当該租税法規の解釈によつて定まるべき問題なのであるから、入場税法の各規定につき、人格なき社団が入場税納税義務を負担するか否かについて検討してみるに、同法上の納税義務者を定めた同法第三条の規定自体からは、人格なき社団が納税義務者すなわち同条項所定の「経営者」または「主催者」に含まれるか否かは必ずしも明白ではない。しかしながら、入場税は、同法第一条の規定から明らかなように、同条に掲げられた興業場等への入場行為に対して課される税であり、それは興業場等への入場の対価として一定の入場料金を支払つて入場する者には、その娯楽的消費支出について担税力があるものとみて、これに入場税を課税しようとするものである。また、このことから明らかなように、入場税の実質的負担者は入場者なのであつて、「経営者」または「主催者」が入場税の納税義務者とされているのは、単に徴税上の便宜に基づくものである。このようにみてくると、入場税においては、所得の帰属主体が問題となる所得税あるいは法人税の場合と異なつて納税義務者がどのようなものであるか、換言すれば、法人であるか、個人であるか、あるいは人格なき社団であるかということはそれほど重要な意味を有するものではないことが理解される。したがつて、入場税法が所得税法あるいは法人税法のように人格なき社団の納税義務について明文の規定をもつて定めなかつたとしても、そのことから原告の主張するように人格なき社団が入場税の納税義務者でないと断定することは適当でない。むしろ、右に述べたような入場税の性質すなわち入場税が興業場等への入場行為に課されるものであり、その実質的負担者は入場者であること、したがつて納税義務者が法人であるか、個人であるか、あるいは人格なき社団であるかはそれほど重要ではないこと、入場税法の用いる「経営者」または「主催者」という用語がその言葉自体の意味としては必ずしも人格なき社団を排斥するものでないこと、同法第八条は免税興業についての定めであるから納税義務者を定める規定と裏腹の関係にあるところ、同条項は「別表の上欄に掲げる者が主催する催物が左の各号に掲げる条件に該当する場合において第三項の承認を受けたときは、当該催物が行なわれる場所への入場については、入場税は免除する」と規定し、同法別表上欄において「児童、生徒、学生又は卒業生の団体」、「学校の後援団体」、社会教育法第一〇条の社会教育団体」(社会教育法第一〇条は「この法律で社会教育団体とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするものをいう」と規定している)など必ずしも法人格を有する者に限らず、かえつて通常は法人格を有しないものが多いと考えられる団体を掲げていること等を合わせ考えるならば、入場税法は、人格なき社団といえども、それが興業場等を設け、または他から借り受けて催物を主催し、興業場等の入場者から入場料金を領収する場合には、同法第三条により入場税の納税義務があるとしていることは疑いを容れないものといわなければならない。そしてまた、右のように解することが課税公平の原則に合致することになる。すなわち、例えば、法人格を有する団体と有しない団体とがともに等しく興業場等を設けまたは他から借り受けて催物を主催し、入場者から入場料金を領収している場合には後者のみを法人格を有しないとの理由で入場税の納税義務なしとすることは、入場税が前述のように興業場等の入場行為に対して課されるものであり、その実質的な負担者が入場者であることを考えるならば、理由のない課税上の不公平といわなければならない。原告は、入場税法第八条の規定により入場税の免税を受けることができる同法別表上欄に掲げる団体は、いずれも法人格を有するもののみを意味するものと解すべきであると主張しているが、その主張の理由のないことは右に述べたところから明らかである。

また、この点に関し原告は、租税法規上「者」は個人および法人を指称し、人格なき社団を含めて表現する場合には「もの」が用いられるところ、入場税法第八条第一項ないし第四項にはいずれも「者」という表現が用いられているところから、同条項にいう免税団体は個人または法人に限られると主張する。しかしながら、租税法規を通観しても、同法上「者」は個人または法人を指称し、人格なき社団を含めて表現する場合には「もの」が用いられるという用語法が統一されていると解すべき根拠は認められない。

原告は、人格なき社団が入場税法上の納税義務者に該当しない理由として、同法第二三条および第二五条ないし第二八条が人格なき社団に適用されないこと、昭和三七年二月二一日国会に提出された国税通則法の政府原案第一三条が国会で修正可決されたこと、入場税法の一部を改正する法律(昭和三七年法律第五〇号)により入場税法第二八条がいつたん改正され、人格なき社団についても右規定が適用されるに致つたが、その後整備法第一四条により右第二八条の改正部分が削除され、再び人格なき社団には同条の適要がないことになつたこと、本件課税処分当時施行されていた所得税法、法人税法、相続税法においては明文をもつて人格なき社団または財団を法人とみなして租税債務を負担する能力を付与しているにもかかわらず、入場税法にはかかる規定が存在しないことを挙げるので、これらの点について検討する。まず、入場税法第二三条は、法人が合併した場合および(自然人につき)相続の開始があつた場合の同法第一〇条第二項、第二一条等の義務(申告義務、記帳義務等)の承継を規定しているが、人格のない社団等の法人格を有しない者については何ら触れるところがない。しかし、右規定は納税義務者を定めたものではなく、徴税の実効を期するための規定である。そして、法人の合併および相続はいずれも法律上当然に権利義務一切の承継を生ずるものであるが、社会的現象として二個以上の人格なき社団が一個の社会に合体する事態が生じたとしても、右の合体によつていかなる効果が発生するとみるべきかは、各社団の性質、実態等に即して各別に取り扱われるべきで、法人の合併および相続の場合と異なり、一律に取り扱われることに必ずしも親しまないものであるところから、入場税法は法人および個人についてのみ申告義務等の承継を規定したものと解することができるのである。したがつて同法が法人格を有する者についてのみ明文の規定をもつて申告義務の承継を規定していることは、同法が納税義務者として法人格を有する者のみを予定していると解釈すべき根拠となり得ない。次に、同法第二五条ないし第二八条は、同法の一定の条項に反した場合の罰則を定める条項であり、右各条項は人格なき社団を処罰の対象に掲げておらず、他に人格なき社団に対する罰則を定めた規定はない。しかし、右各条項も納税義務者を定めた規定ではなく単に徴税の実行を期すために設けられた規定であり、これらの規定を人格なき社団に適用すべく明文の規定を設けるか否かは、いかなる範囲の者を可罰対象者とするかという刑罰法規としての立法政策の問題なのであり、右各条項が可罰対象者として人格なき社団を明記していないことをもつて人格格なき社団が入場税法上の納税義務を負担しない根拠とはなし得ないと解される。次に、成立に争いのない乙第二八ないし第三三号証によれば、前記国税通則法の政府原案第一三条には人格なき社団等について「国税に関する法律の規定については法人とみなす」旨規定されていたところ、右条項は国会の審議において第三条として人格なき社団について「法人とみなしてこの法律を適用する」旨の規定に修正可決されるに至つたこと、昭和三七年四月一日施行された改正入場税法第二八条には人格なき社団に関する両罰規定がおかれていたところ、右国税通則法の修正可決にともない整備法によつて削除されるに至つたことが認められる。しかし、前記3で述べたとおり、人格なき社団が入場税法上の納税義務を負担するか否かは結局同法の各条項の解釈の問題に帰するところ、同法の解釈上人格なき社団に納税義務を認めるのが相当であることは本項で述べたとおりであるから、国税通則法政府原案第一三条の改廃を理由に人格なき社団は入場税法上の納税義務を負担しないとの原告の主張は採り得ず、また、同法第二八条は前記のとおり納税義務者を定めた規定ではなく、単に徴税の実効を期すために設けられた規定であり、これらの規定を人格なき社団に適用すべく明文の規定を設けるか否かはいかなる範囲の者を可罰対象者とするかという刑罰法規としての立法政策の問題なのであるから、昭和三七年四月一日施行された改正入場税法第二八条の整備法による削除を理由に人格なき社団は入場税法上の納税義務を負担しないとの原告の主張も採り得ない。

原告は、権利能力についての現行法の建前と租税法律主義の建前から、人格なき社団に租税義務能力を認めるには明確な法律の規定がなければならないところ、所得税法、法人税法、相続税法等においてはその点につき明文の規定があるのに入場税法においては明文の規定が存在しないから、人格なき社団は入場税法上の納税義務者となり得ないと主張する。なるほど、本件課税処分当時施行されていた租税法規を通観すると、直接税法である法人税法、所得税法、相続税法には人格なき社団につき明文の規定を設けていたが、間接税法である入場税法には人格なき社団について明文を設けていなかつたことが認められる。しかしながら、右法人税、所得税法、相続税法は、それぞれ各税法独自の理由に基づいて人格なき社団につき明文規定をおいているものであるから、右各税法と対比して入場税法にかかる規定がないことをもつて原告の主張を根拠づけうるものではない。すなわち、所得税法第五条は納税義務者として居住者、非居住者という個人ならびに内国法人、外国法人という法人を、法人税法第四条は納税義務者として内国法人、外国法人という法人のみをそれぞれ掲げて規定しているため、あらためて所得税法第四条および法人税法第三条においてそれぞれ人格なき社団を法人とみなす旨の規定を設けることを必要としたからであり、相続税法においては同法第一条、第二条によつて納税義務者を個人に限定しているので人格なき社団に納税義務を負担させるにはその旨の規定が必要であるという理由によると解せられるからである。これに対し入場税法は前記のとおり、社会的活動の実態に着眼して「経営者又は主催者」を納税義務者としているため、人格なき社団が納税義務者に含まれるか否かはもつばら右法規の解釈にゆだねられるのであり、同法が人格なき社団について明文の規定を設けていないことは、人格なき社団を納税義務者に含めないことを意味するものではない。また、立法論としては原告主張のとおり各租税法規上納税義務者の範囲が明文をもつて規定されていることが望ましいが、当該租税法規の解釈上納税義務の有無を明らかになしうる以上、納税義務者の範囲を定める明文の規定を欠くからといつてただちに租税法律主義に違反するものということはできない。したがつて、この点に関する原告の主張は失当である。

なお、原告は人格なき社団である原告が入場税法上の納税義務を負担するということになれば、人格なき社団においては構成員と別個に独立した人格なき社団が存在するものではないことから、原告の会員が納税義務者であることになり、その結果原告の会員は同法上の「主催者」であると同時に「入場者」であるか、あるいは、原告主張の例会は「入場者」がなく、「入場料金」の領収なき催物であるという矛盾が生じると主張する。しかしながら、前記のとおり、人格なき社団は構成員の単なる集団ではなく、当該団体それ自身において社会生活上の一単位をなしているものであり、同法上の納税義務もかかる人格なき社団自体が負担するのであるから、原告の主張は理由がない。

5  入場税法と憲法第二五条について

原告は、入場税法は、昭和一三年に軍国主義的政治体制の下で、軍事絶対、ぜいたく追放、文化否定の精神から制定された臨時法的性格のものであるところ、今日においては右存在根拠が失れたのみならず、大衆収奪の一翼を担い、文化の発展を阻害し、民主的運動や民主的諸団体を弾圧する役割を演じ、勤労者が人間に価する生活を営むために欠くことのできない映画、演劇等の観賞を阻害しているのであるから、憲法第二五条に違反すると主張する。しかしながら、そもそも租税法は、国家の活動(生存権を実質的に保障すべき債務の遂行も含まれる)に必要な財源調達のため国民の担税力に応じ、公平に課税を行なうこと、換言すれば国民が国家活動の財源の負担を公平に分担することを目的としており、かかる目的に副うものとして国会において審議成立したものであり、これを入場税法についてみると、前記のとおり、同法は間接消費税に属し、入場料金を支払つて興業場等に入場する者は入場しない者に比較してその裏に入場料を支払うに足りる所得があるものと想定して、すなわち、入場料金支払時にこの意味の担税力があるものとみて入場料金の一割の入場税を課税する趣旨で制定されたものである。したがつて、同法は大衆から不当に税金を収奪するものとはいえないのみならず、また臨時法的性格のものとも解し得ない。原告は同法は軍国主義的政治体制の下で軍事絶対、ぜいたく追放、文化否定の精神から制定されたものであると主張するが、そのような事情が仮に存在したとしても、同法の立法趣旨が右のごとく解せられる以上、それらの事情は単に立法の際の社会的事情にすぎないものである。以上のとおり、今日において同法の存在根拠が失われたとの原告の主張は理由がない。また、入場税の賦課により納税義務者ないし租税負担者が当然にいわゆる純音楽や演劇、舞踊等の公演を観賞すすことができなくなるものではなく、それらの者が当然に憲法第二五条第一項に規定する「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができなくなるものではない。さらに、前記乙第三二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第二七号証の一、二によれば、原告を含む労音以外にも数多くの音楽、演劇等の催物を主催している人格なき社団が存在し、それらはいずれも所定の入場税を納付しているものであり、その一部は継続的な活動を行なつていることを推認することができる。したがつて、入場税法が日本文化の発展を阻害し、民主的運動や民主的諸団体を弾圧する武器としての役割を果し、憲法第二五条に違反しているとは認められず、原告の主張は理由がない。

6  本件課税処分と憲法第二五条について

原告は、勤労者がその労働力を回復し、また人たるに価する生活を営むためには、たまには映画、演劇等を観賞し、あるいは音楽を聞くことができなければならないところ、一般の興業主の興業は極めて高価であり、その興業の実態は頽廃的、植民地主義的、軍国主義的であり、右興業によつて勤労者の真の文化的欲求は満足させられないため、勤労者が集まつて原告を組織し、自らの手で真の文化的欲求を満しているだけでなく、広く音楽文化を発展させるべく労音活動を行なつているのであるから、かかる原告に対し入場税を賦課するのは憲法第二五条に違反すると主張する。しかし、一般の興業主の興業の入場料金が一録の勤労者の観賞の機会を奪うほど高価であること、その興業の実態が頽廃的、植民地主義的、軍国主義的であることはこれを認めるに足る証拠がないのみならず前記4で述べたとおり、入場税の実質的負担者は入場者なのであつて、「経営者」または「主催者」が入場税の納税義務者とされているのは単に徴税上の便宜にすぎず、本件においても入場税の実質的負担者は会員自身であり、労音活動を行なつている人格なき社団である原告でなく、会員自身についてみればその娯楽的消費支出に担税力があるものとみるべきであるから、本件課税処分は憲法第二五条に反するものでないと解せられること、および前記5で述べたとおり、入場税の賦課により納税義務者ないし租税負担者が当然にいわゆる純音楽や演劇、舞踊等の公演を観賞することができなくなるものでないことを総合して考察すれば、原告の主張は理由がないといわなければならない。

7  本件課税処分の弾圧的性格について

原告は、被告および被告を指導する国税庁ならびに政府によつて原告の労音運動は弾圧されているとして種々の弾圧行為を挙げ本件課税処分も右弾圧の一環としてなされたものであるから違法であると主張し、成立に争いのない甲第二六号証および乙第三七号証の二ならびに原告代表者田代健太郎本人尋問の結果によれば昭和三九年に青少年を中心とする人間形成教育を経営者の新しい任務とするとの趣旨のもとに音楽文化協会(音協)が創立されたこと、右音協は労音の対抗団体としての作用を営む面もあることを認めることができる。しかし、右音協の創立が被告および被告を指導する国税庁ならびに政府による原告の弾圧を目的としていることおよび原告が主張するその余の弾圧行為はいずれもこれを認めるに足りる証拠がないから、原告の右主張は理由がない。

四  以上のとおり、本件課税処分の対象となつた各例会は入場税法第二条第一項の「催物」に、原告は同条第二項の「主催者」に原告の会員は入場者に、原告の領収した会費は同条第三項の「入場料金」にそれぞれ該当するところ、別表一記載の各処分がなされたこと、被告は右処分の対象となつた例会につき各例会の開催に要した経費の総額を当該例会会場に通常入場することができず人員数(定員数)で除して得た額を一人一回の入場料金の額とする課税方式を採つたことについてはいずれも当時者間に争いがなく、原告は別表二記載の経費の額および定員数を明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきであり、しからば前記のとおり右課税方式が適法である以上右処分には何ら違法はないといわなければならない。

五  よつて、原告の本訴請求は失当というべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀部勇二 裁判官 鹿山春男 裁判官 吉村俊一)

別表一

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別表二

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